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純白なる悪に惑わされし人の子よ、真なる光を求めよ

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BLACK†INFERNO ‡02


黒地獄
 BLACK†INFERNO

 ‡02



 

・・・・・・そこからは、まさに電光石火の如くだった。

人影が放った、強力過ぎる程の光を纏った一閃。
それが怪物を飲み込み、文字通り切り崩す。


 正直、見惚れた。

まさに名匠が描いた、名画のようで。
さしずめ神話に出て来る、英雄が怪物を見事打ち破った場面だろうか。
こんなにも美しいと感じるのは、月明かりがもたらす魔力なのか。

――そうやって劉が唖然としながら見ていると、その人影は今しがた肉片と化した怪物の頭部に剣を突き立てて、一緒に落下して来た。
劉の、目と鼻の先に。

 人影は剣を支えにして立っている、という状態だった。
肩で息をし、真っ黒な衣服は所々で裂け、或いは解れ・・・・
服の破れた箇所から露出した肌には深い傷が刻まれ、ボタボタと鮮血が流れ落ちていく。

艶やかな黒髪の合間から覗く瞳はアクアブルー。
宝石なら、アパタイトやトルマリンが近いだろう。
それもインクルージョンの全く無い、澄み渡ったものだ。

 不意に、人影の姿が揺れ動く。
肉塊から剣を抜き、此方を見据えている。


何だろう。
凄く、綺麗だ。

こんなに傷だらけで、こんなに血塗れなのだが。


「――・・・・・君は・・・・・・」
先に口を開いたのは、劉。
しかしそれに応じるようにせせら笑ったのは、人影ではなかった。
『人間とは、かくも愚かなものよ・・・・・わざわざこんな所へ踏み込まなければ、もっと生き長らえたものを』
重苦しい声音と共に、怪物が首を擡げた。
『如何に文明が発達しようとも、原始の頃より変わらぬ。いや、愚かさは次第に深まるばかりよ。――おかげで我らは大いに事足りておるがな』

「・・・・・・・・・・否定はせんがな」
ようやく人影が言葉を発した。
凛と低く響くが、その声の色は確かに。
「(―――女、の子・・・・?)」
「貴様らの所業はいささか目に余る。貴様らが度を越えた暴食を続けるおかげでこうして時空がゆらいで、知らなくとも良い領域に人の子が迷い込むのだ」
言いながら、彼女は剣にまとわりつく血脂を振り払って劉の方へ歩み寄ってきた。
怪物がまたせせら笑う。
『ククククク・・・・鬼よ、そいつを殺すか?』
ピタリと足を止め、彼女が劉に背を向けた。
まるで劉を怪物から守るために、怪物の前に立ち塞がっているような位置で。

 不意に、怪物が動いた。
長い首でスナップを利かせるように頭を振りかざし、大きな牙をむき出して、彼女目掛けて振り下ろす。
『その人間を守るというのか? 皆目理解できぬ・・・・ぬしの仕事は、我等兄弟を滅するという事のみであろうに!』

 ガキンッッ!!と鋭い音が響いた。
見れば、彼女が剣で怪物の牙を受け止め、防いでいる。

しかし流石に力で押されているようで、その足元でジャリ、と砂にも等しい小石の粒が靴裏で転がり、音をたてていた。
「確かにな・・・・・だが理解出来ずとも結構――私にはこの人間を無事此処から脱出させる責任があるだけの事だ」
『責任――・・・・そのような物の為に、ぬしはその命を散らすというのか』
相変わらずせせら笑い続け、怪物は彼女の細い身体から血が止めとどなく噴き出してくるのを目を細めながら眺めていた。
失血のひどさは、まさに目に見える。
いや、とうに命が脅かされる程にまで失血している筈である。
しかし彼女の表情には、焦りの色すら無かった。
「この命を散らす覚悟はとうにできている・・・・・・ただ、貴様ら兄弟のようなベヘモスを気取った馬鹿共とのいざこざで、命を落とすつもりは無い」
『ようやく口を開いたかと思えば・・・・口の減らぬ小娘よ』
「ほぉ? その小娘に今し方あっさりと半身を切り落とされたのは、どこの何奴だったか」
彼女の言葉が気にくわなかったのか、怪物の眼がギラリと光る。

 劉は直感的に、嫌な予感がした。
それは娘も同じだったようだ。
更に傷口が開いて血が噴き出すのも構わず、剣を握る腕に力を込めて怪物の頭を無理矢理押し返して、とっさに劉の方へ飛び退く。
その際、剣を握っていない方の彼女の手が、劉が手を伸ばせばすぐに手が届く程の間近な位置にまで来ていた。

 ・・・・・まるで地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸に縋るような気持ちで、劉は彼女の手を掴んだ。
「・・・・・・・・良いのか? 私が後々お前を殺さない保証は無いぞ」
微かに振り返った彼女と眼が合う。

 嗚呼、やっぱり綺麗だ。

「君になら――我は殺されても良いかな」
「そんな馬鹿馬鹿しい台詞がよく出て来るな」
 ピシャリと切り捨てながらも、彼女は劉の手を握り返す。
彼女の手は、ひんやりと冷たかった。
失血の所為、だろうか。
「だが、こんな状況下でそのような口が利ける事に関しては・・・・賞賛に値するかもしれん」
 初めて彼女が笑みを見せた。
凛々しい顔に柔らかく笑みを作ったその顔が、ゾクリとする程に美しくて。


 嗚呼、いけない。
 手に入れたい。

 今すぐに。

 ・・・・・・駄目だ、やはりいけない。
 でも。

 手を、この手を。
 放したくない。


我ながら、こんな緊迫した場面でなんと呑気な事だろう。
「君には我を無事に此処から出す責任があるんだろう? 君を信じる理由なんて、それだけでも今の我には充分だよ」
「結構。ならば、しっかりとついて来い!」
 不意に、彼女が駆け出した。
手を引かれるまま、劉も走り出す。

直後、背後で轟音と共に熱の塊が爆ぜた。
真っ黒に黒こげた石や木の破片が、足元に転がる。

「―――何、だ・・・・ッ?」
「何、だいぶ挑発してやったからな・・・・・・少しばかり頭にきただけだろう」
「少しって・・・・・・アレ、相当怒ってるよ?」
振り返り、劉は怪物を見上げた。

それは激昂に任せて暴れ狂っているように見える。
しかし、その巨大な体が移動する気配は無かった。
首が長くて攻撃範囲が広く、それまでは気にかからなかったのだが、先程斬り殺された怪物とは様子が明らかに違う。

よくよく注意して見てみると、その半身が――下半身が、綺麗に切り落とされていた。
「・・・・・・・・・・・アレは君がやったのかい?」
「まぁな・・・・・だがあの通り、ピンピンしているから嫌になる」
不意に、怪物が身を縮ませるのが見えてギクリとする。

 まただ。
嫌な予感がする。
怪物が大口を開けると、喉の奥から光が漏れ出しているのが見えた。
その光景だけでも、ひやりとしたものが背筋を駆け抜ける。
「伏せろ!」
「――うわっ!?」
言われてとっさに屈んだ瞬間、頭の上を高熱の塊が通過して行った。
その塊がぶつかった壁は、瞬間的に真っ赤になってドロリと溶ける。
更に、周辺に転がる骸が熱で焼け、嫌な臭いが立ち込めた。

「・・・・・・チィッ」
小さく舌を打ち、娘は足を止めて身を翻した。
劉を自分の背後に移動させ、剣を構える。
「・・・・・・危ないよ?」
「今更気にした事では無い。それに――アレに大人しくして貰わない限りは、終わらないからな・・・・・然らば早々に片付けるとするだけだ」
彼女がそう言うと、剣を構えるその腕に、雷がほとばしり始めた。

 凄まじい音と、光。

それに感化されでもしたのか、天が唐突に陰りだした。
絶え間なく稲光を迸らせる黒い叢雲が渦を巻き、周辺一帯を昼よりも明るく照らす。

――たった今まで、雲の一つすら無かった空で。
まるで彼女が操っている、という光景だ。

「君は、雷神か何かかい?」
「どうとでも。それより気を付けろ、光で目が潰れるぞ」
彼女は忠告を忘れなかった。
殺さない保証は無い。ならば殺すかもしれない相手に何故気遣いを示すのか。

 ・・・・答えは、簡単だった。
彼女は、劉を守ろうとしている。
それも己の命すら削って。
見かけや声の調子は依然として力強いままだが、その冷たくなった手を握っていれば分かる。
おそらく、もう限界に達しているのだろう。
なのに彼女は足手纏いになる事を承知で、劉を守る為に片腕の自由をも放棄した。
――彼女が何者であれ、信じるに値するという事は確かだ。

 劉は黙って彼女に全てをゆだねる事にした。
それに、あえて知る必要も無いだろう。
知らなくとも良い領域とやらにこれ以上踏み込めば何が起こるか分からない。
そうなれば彼女に余計な負担を更にかけてしまう事になる。
それが何故か無性に嫌だった。

 だから、これ以上は望まない。


「(あぁ、どうやら我は君の事が――――)」

目を硬く閉じ、彼女の手を握りしめる。

「(――――好き、になってしまったみたいだよ)」


目を閉じていても、明るくなったのが分かった。

ひときわ凄まじい轟音が鳴り響く。
音が地面を揺るがすのを、体でまざまざと感じた。

――そして、唐突に静まり返った。


風の音が聞こえる。
静かに火が燃える音が聞こえる。

幸いにも、轟音で耳がおかしくなる事は無かった。

恐る恐る、目を開けてみる。
すると肉片となった怪物の残骸が、音をたてながら燃えているのが見えた。
空は何事も無かったかのように晴れ渡り、雲一つ無い。

「―――終わった、ようだね」
「あぁ・・・・・・私の役目も、これで果たせた」
「―――!?」
不意に彼女のその身体から力が抜けた。
劉は驚きながらも、とっさにその体を抱き留める。

 やはり彼女は既に限界だったようだ。
呼吸すらも弱々しく、目に見えてぐったりとしている。

 正直、放って置きたくなかった。
「―――お前っ・・・・・何、を・・・・・・っ?」
軽いその身をヒョイと抱き上げれば、彼女は驚いた声をあげた。
劉はそれに笑みを返して、身を翻す。
「―――私など、置いて行け」
「やだ」
彼はそう問答無用で即答し、構わず来た道を急いで引き返した。
ぐったりして、もはや抵抗しようと暴れ出す気力すら無いのか、彼女は大人しかった。

「それはそうと、どうやったら此処から出られるんだい? 来た道を素直に戻れば良いのかな?」
「・・・・・、月を見ろ」
「月?」
「そう――道は二つある・・・・・お前が通ってきた道と、もう一本。月を前方に望める道を選んで、道なりに進め・・・・・決して引き返さずに、な・・・・・・」
「うん、わかった。それから―――君の要望は、悪いけど却下だ。やっぱり、置いて行けないよ」
「・・・・・・・、―――」
言葉を紡ぐ事ですらもはや負担になっていたのか、彼女は何か言いたげにしていたものの、そのまま意識を手放した。
少しばかり惜しいと思ったが、仕方無い。



「ゆっくり休むんだよ。目が覚めたら、ゆっくり話をさせて欲しいな。―――――ねぇ? 雷神さん」

 優しく彼女の頬を撫でて、劉は駆け出した。




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