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BLACK†INFERNO ‡03
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黒地獄
BLACK†INFERNO
‡03
「劉様! 何処へ行っておられたのです!?」
屋敷に帰るなり、使用人達は飛び出して来た。
衣服が傷み、掠り傷さえ負った劉の薄汚れた姿に、誰もがすぐに表情を変える。
「そのお姿はいったいどうされたのですっ!? もしや――」
比較的若い使用人達の間をかき分け、青ざめた顔で詰め寄って来たのは劉に使える使用人の中でも一番の古株である老人。
名前は彪[ビウ]。
カンフースーツに白髪、白髭。
背は決して高くは無いが、老人のわりにしっかりとした体格をしていて、きびきびと動く。
その容姿はさながら拳法か何かの老師で、実際他の使用人達からはそのように呼ばれている。
「ビウ、落ち着いて」
「その者は誰です!? 何があったのですか・・・・・っ?」
「ビウ」
少し強い調子で名を呼び、老人を黙らせる。
「この子は我の命の恩人・・・・・我の大事な客だよ。傷の手当てをするから、急いで湯を沸かして、それから薬と包帯を揃えて部屋まで運んでおくれ」
「―――・・・・・かしこまりました」
ビウは山ほどある質問を飲み込んで、劉の後ろ姿を見送った。
それから依然おろおろしている女中の中から数人を我に返らせ、湯を沸かすよう指示を出す。
他の使用人達にも各自持ち場に戻るように言いつけて、自分は医務室に走った。
劉の腕の中でぐったりしていた人物を思い浮かべながら、必要そうなものを薬棚から少し多めに出して籠に詰めていく。
小さなワゴンにその籠と水盆、数枚の手拭いにガーゼ、包帯を乗せて、老人は劉の部屋へ急いだ。
彼女を自分のベッドにそっと横たえると、劉は直ぐに動きにくい上着を脱ぎ捨てながら手当ての為に使えそうな物をかき集めた。
たっぷりと水の入った水挿しや吸水性に優れるタオルをありったけ出してくると、ベッドに戻って来てまず彼女の顔から一通り血をぬぐい去る。
それから、彼女が着ているものに手をかけた。
彼女の着る服はドレスとは違い丈夫ながらも簡素な作りで、ある意味で脱がせ易くて助かった。
「・・・・・・参るな」
水を含ませたタオルで傷口をゆっくりと綺麗にしながら、ぽつりと呟く。
彼女はどうにも魅力的だ。
勿論こんな時に理性を失ってしまう程、劉の精神はひ弱では無い。
しかし彼女は、仮にも惚れ込んでしまった相手である。
それに結局の所、彼も健全な男である事には変わりない。
「(流石の我にも、これは目の毒かな・・・・・)」
そう思い至った所で、部屋の扉がノックされた。
「ビウで御座います。ご所望の物をお持ち致しました」
「入って」
「失礼致します」
部屋入って来たビウは、ベッドに横たえられた彼女を見て、少なからず驚きを覚えた。
何よりも、「彼女」であった事に。
そして彼女がその身に負った多くの傷を目の当たりにし、改めて驚く。
「これは・・・・医者に診せた方がよろしいのでは?」
自分達だけで手に負えるとは思えない。
そう思い進言するも、劉は首を横に振った。
「おそらく無駄だよ。彼女に我々の医者は通用しない」
「しかし・・・・・・」
「ほら、見てごらん」
納得が行かぬ様子のビウに、劉は彼女の腕を取りながらそう促す。
酷い裂傷が、痛々しく刻まれている。
その他にも縦横無尽に走る切り傷などが無数に見られるが、幸い血は止まっているようだ。
「?」
ふと、違和感が過ぎった。
「・・・・・・、・・・・・・・・・・まさか――」
違和感の正体に気付くのに、そう時間はかからない。
比較的浅い傷が、それは本当に少しずつであるが。
「気付いたかい? 少しずつだけど、もう治り始めてるんだ」
彼女の手を労るように包み込みながら、彼は老人を振り返った。
ビウはしばし呆然としていたが劉と眼が合うなり、はっとしたようにベッドに歩み寄って、机に持って来た品々を並べた。
水盆には先ず湯を注ぎ、針や鋏、ピンセット等の道具を一度消毒する。
それから手を入れられる程度にまでぬるくした湯を用意して、それに手拭いを浸し軽く搾る。
今一度傷口を綺麗にして、その上で消毒し、薬を塗る為に。
「ところでビウ、クローゼットから適当な服を持って来てくれるかい。見ての通り、彼女の服はボロボロになってるからね」
「劉様のお召し物で宜しいので?」
「うん、背丈も我と同じくらいだったから、たぶん丁度良いと思うんだ」
言いながら手当てを施す劉の横顔を見つめ、随分な入れ込み様だと感じながらも、ビウはやはり黙っていた。
何故か劉のしたい様にやらせて置くのを良しと判断し、その場を後にする。
・・・・何時もならば、こんな事は有り得ないのだろうが。
ビウは言われた通りにクローゼットから適当に一着を見繕い、劉の着替えも出して戻った。
「劉様。お着替えは此処に置いておきますよ」
「あぁ、ありがとう」
「・・・・・ところで、劉様。この娘の名はなんと申すのですか?」
主人の恩人の名は知っておきたく、ビウは聞いた。
しかし実際のところ、劉も彼女の名はまだ知らない。
“君は、雷神か何かかい?”
彼女と交わした会話を思い出す。
稲妻を自在に操る姿は、まさに雷神の如く。
そして彼女は否定しなかった。
「・・・・・・・雷――」
彼が不明瞭にぽつりと何かを呟いた。
よく聞こえなかった為に、ビウに聞こえたのは「ライ」という部分だけ。
「ライ様・・・・で、御座いますか?」
「ライ・・・・・ライ。うん、それも似合いの名だね」
「劉様?」
ブツブツと呟いていると、ビウは怪訝そうに覗き込んで来た。
「あぁ、ごめんよ。我も知らないんだ。まだ教えて貰ってないからね。・・・・・だから、一先ずはライと呼ぶ事にするよ」
その名を教えて貰うまで。
それまでの間。
直ぐに用無しになるかもしれないが、「彼女」だとか「キミ」という呼び方は何かよそよそしくて好きではなくて。
「雷神の、ライだ。・・・・・・しばらくの間、そう呼ばせて貰うよ? ライの目が、覚めるまで」
語りかけながら、その頬に指を滑らせる。
相変わらず冷たい肌だった。
もしかすると、自分で体温を上げる事が叶わないのかもしれない。
「・・・・・・・・・・・ビウ、下がって良いよ。今日はもう遅い、早く休むと良い」
「・・・・・しかし、劉様――」
心配そうな面持ちのビウに笑顔を見せて、劉は彼を黙らせる。
「心配は要らないよ。それよりも、明日の準備をして欲しい」
「明日、で・・・・御座いますか」
「ライに、元気の出るものを食べさせたい。血になるようなものをね」
「ふむ・・・・・・」
ライの顔の血色の薄さに何処となく納得したのか、ビウは大人しく引き下がる事にしたらしい。
「――かしこまりました。それでは、私はこれにて失礼致します」
「あぁ、おやすみ」
「おやすみなさいませ・・・・劉様、どうか無理をなさらぬよう」
やんわりとながらも、しっかりと釘を刺すようにそう言い残して、老人は軽く会釈し出て行った。
「・・・・・・」
劉は軽く息をついてから、今一度ライの頬を撫でた。
ゆっくりとその輪郭をなぞり、それから治療を再開する。
比較的浅い傷は既に血も止まっている為、洗浄して消毒しておくだけで事足りる。
深手な傷はまだ弱く、ふとした拍子に血が滲む。
だから薬を塗ってガーゼをあて、包帯を巻いた。
正直、薬の効果は期待しなかった。
ライの体の治癒力の方がおそらくは強い。
・・・・ある意味、気休めで塗っているにすぎなかった。
手早く治療を終え、ビウに出して来させた服をライに着せた。
「・・・・・・やっぱり、殆どぴったりだね」
思ってた通り、劉の服はライに若干大きい程度で、殆どぴったりだった。
ライの前髪を指先で払いながら一人ほくそ笑んで、劉は自身もようやっと着替える。
そこで今更ながら自分のについている傷に気付き、滲んだ血を拭き取る。
これを見たビウや他の使用人達は心配しただろうが、こんなもの、ライに比べれば、ほんの些細な掠り傷だ。
いや、怪我のうちにも入らない。
「・・・・―――、――ん・・・・・・・・・・」
「!」
不意に、ライが軽く身じろぎした。
それに敏感に反応して、劉は彼女の顔を覗き込む。
誘われるように手を伸ばしてその頬に触れてみると、ライは柔らかな吐息を漏らし、寝返りをうった。
それからやっと、彼女は目を開けた。
澄み渡るアクアブルーの瞳が、ゆっくりと劉を見上げて来る。
「目が覚めたかい?」
「・・・・・・どうやら、世話をかけてしまったようだな・・・・」
ゆるゆると視線を泳がせ、ライは状況を直ぐに飲み込んだらしい。
「我が勝手にやった事だよ。それより気分はどうだい」
「少しばかり寒気がするが・・・・まぁ、血が足りないだけだろう」
「足りないだけ・・・・・とは言ったものだね、ライ」
「・・・・・・・・・・ライ?」
安心して気が抜け、ベッドに腰を下ろす劉を、ライは怪訝そうに真っ直ぐ見上げる。
「キミの名前。分からなかったから、勝手にそう呼んでいるんだ。雷神から取ってね」
優しくその頬を撫で、そう答える。
「――ライ・・・・か。悪くない」
ライは薄く笑みを作り、ゆっくり身を起こした。
そこで彼女は自分の着ているものが、自分の衣服でなくなっている事に気付く。
しかし彼女は目を微かに細くしただけで、何も言わなかった。
劉は一瞬苦笑を滲ませ、礼の言葉を口にした。
「ありがとう、キミが居なければ・・・・我は今頃あの怪物の腹の中だったよ。――我は劉。キミの名前は?」
訪ねると、彼女は少し間を置いた。
その瞳はどこか遠くを見ているようで。
また何か懐かしむような色を少し滲ませて。
「私の、名は―――・・・・・」
―――冬の、ロンドン。
その日の夜、空には一点の曇りも無かった。
しかし、皆が寝静まった真夜中に、一迅。
凄まじい雷鳴が、轟いたと謂う。
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